俺はもう本気だしてるんだけどなぁ。

~かーりーの、ブログ~

ポテトは英語で何て言う?~言語が思考を作る~


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知人の4歳になる息子さんは英会話教室に通ってるそうです。その息子さんと知人の会話、ファミレスにて。

「パパァ~、ポテトは英語で何て言うか知ってる??」

「ポテトはポテトだよ」

「違うよパパ、ポテイトだよ!」

「・・・。」

「トマトはトメイト!」

おそらく息子さん的には細く刻まれカラっと揚げられたヤツは日本語でポテト、皮とか土とかついている丸くゴロゴロした状態のヤツはじゃがいもなんでしょう。

ポテトもトマトも日本語として使われているので、発音の違いだけ。息子さんの言っている事は間違ってはいませんが、、、。

 

ちょっとした笑い話ですが、笑ってばかりもいられません。

 

そもそも子を持たぬ僕が言うのもなんですが、なぜ多くの親は子が3,4歳くらいになると英会話教室に通わせたがるのか、イマイチ理解できません。

一番大事な日本語がまだまだ覚束ないのに、、、。

確かに生まれてからの数年は人生で一番吸収力があり、一番学習する時期です。たった3,4年で何の知識も持たぬ状態から親の使う言葉を理解し、扱えるようになるのは驚異的です。

それに乗じてその時期に英語も、とういことなんでしょうか?もしくは喋れるようにならなくても将来英語は何かしら役に立つだろうから、少しでも身近に感じてもらえればということなんでしょうか?

例えばある言語を習得しても頻繁に使わなければ忘れてしまいます。日本に住んでいる以上やりとりは当然日本語、メディアの情報も日本語。

早い時期に英語を習わせたとしても、多少英語というものを身近に感じるでしょうが、ただそれだけのことです。

 

あと大人の勝手な先入観や勘違いもあるでしょう。

今はもう国際社会。国際人として英語を喋れなくては、英語喋れる人=国際人と思うのでしょう。これは大きな勘違いであり、国際人かどうかのの本質はそこではありません。こんな話があります。

 

アメリカのある田舎の農業をやってる老人にインタビューをしました。

「おじいさんは今までに海外旅行したことはありますか?」

「ああ、昔1度だけ。」

「どこに行かれましたか?」

「ニューヨーク!」

 

アメリカは建国当初は今のEUのように複数の国が寄せ集まった状態であり、その歴史を踏まえれば、この老人の感覚、分からなくはないですが、、、ただ建国して200年以上経っています。

 

このインタビューのやりとりは当然英語。ではこの老人を国際人と呼べるのか?おそらく誰に聞いても答えは否でしょう。

 

英語をどんなに流暢に喋れても、日本人として当然知っているであろう日本の知識や教養を持ち合わせていなければ、中身のないヤツと見なされて国際社会からはじかれてしまいます。

逆に英語はだどたどしくても、日本に関するあらゆる質問をしても答えることができ、また深い知識や教養を持った中身のある日本人は国際社会でも一目置かれることでしょう。

 

子供が大きくなり将来を自分で決める段階になり、国際的に何か仕事をしたいと考えたなら留学したいと言いだすでしょう。親はその時に支援してあげればいいわけで、留学すれば英語はイヤでも身につきます。

 

ちなみに日本人が日本的なのは単に日本に住んでるからだけではなく、日本語を使っているからです。人はその言語を超えて考えたり感じたりすることはできません。そう、言語が思考を作るのです。

 

国際社会を意識するのなら大事なのは英語ではなくむしろ日本語であり国語です。幼い頃からしっかりと正しい日本語を学ばせる。そうする事でおのずと日本的素養も培われます。

英語がどんなに喋れても海外に出ればそんなやつらばかりです。珍しくもなんともありません。大事なのは日本人としてのふるまいだと思います。

 

中学高校と英語の授業に費やした時間はどれくらいか。

もし仮に学生時代に英語を一切習わなかったとしても今の人生とそう違いはないでしょう。英語力が多少なかったとしても何かのおりに英単語などを知りたい時はググればいいわけで。

日本に住んでる以上何の問題もありません。

英語の授業に費やした時間を国語や歴史に当てた方がよっぽどマシだったような気がします。

英語に割く時間はだいぶ増えているようで、、、。

”何かおかしくない??”と偉い人達は誰も思わないのでしょうか?